集中力が求められない社会

その他
08 /19 2010
昨日、司法書士会の研修がありました。
研修の内容はさておき、驚いたことがありました。
研修中に携帯を鳴らすアホがいたことです。

思い返してみると、昨日の研修に限らず今までの研修でも同じ感じだった気がします。
そういったアホは勝手にアホでいいのですが、問題なのは張り詰めた空気が一気にダレてしまうことです。
講師にとっても、他の受講者にとっても失礼極まりないです。

昨日のアゴラにこんな記事がありました。

子供達がパソコン、ゲーム、ケータイといったデジタル機器に囲まれて毎日を過ごしていることに、違和感を覚え、危機感を募らせている人達は数多くいます。中でもケータイのメール中毒症状は、その最たるものでしょう。食事をしている間もケータイを離せず、親の話などはどこ吹く風、食べることにさえ集中出来ていない子供を見て、危機感を持たない人はいないでしょう。勿論、こういう状況は何とか変えていかなければならないのは当然です。

だからと言って、「子供にケータイなど持たせたら禄なことはないから、持たせるな」というのは乱暴きわまる議論です。ケータイは、今や、大人たると子供たるとを問わず、殆どの人達の生活の一部であり、「社会を支える仕組」の一部です。外を歩くには靴が、雨の日には雨傘が要るのと同じような状況です。従って、一部の人達が、一つの側面からだけものを見て、安易に「規範」を決めてよいようなものでは、最早なくなっているのです。

これはまさしくそのとおりだと思います。
包丁が料理にも殺人にも使えるのと同じように、携帯も便利ツールにも害悪撒き散らしツールにもなります。
だからこそ、しっかりした使い方を子供たちに教えるべきなのでしょうが、それは教える側が使い方を知っていることが当然前提になります。
最低限のモバイル・ローをわきまえたいものだと改めて感じました。

神経科学者の池谷裕二さんの話によれば、動物にとって、集中力が湧いている状態というのは不自然な状態だそうです。
理由は、何かに集中している状態というのは、外敵に狙われる危険性が高くなるからです。
そして、人間の脳ですら、集中力を欠いている状態のほうがむしろ自然とのこと。
それを考えれば、あることに集中することは、脳も体も疲れるだけの営みなのかも知れません。

それでも、人間は脳が疲れることにも幸福を感じられる生き物だとも思います。
スポンサーサイト

コメント

非公開コメント