雑多に、思いつくままに


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学生の時はほとんど本を読まなかったのですが、5年前辺りからすこしずつ読むようになりました。
今は、週3冊から4冊ぐらい読んでいるものの、どうも「ん~?前に読んだかな~?」ということが増えてきました。
要するに、読んでいる冊数に比して、ついている血肉は乏しいのではないか、と。

その既読感の原因としては、タイトルは違うものの、どうやら元ネタが同じ本だということが度々あるようです。
例えば、ビジネス書を読んでいて既読感を感じた時には、ドラッカーの本を読むと結局それが元ネタだとわかることがあります。
つまり、違う枝を見ているものの、元をたどると同じ木から生えている枝だったということでしょう。
しかも、最近は大した価値もない枝を、如何に素晴らしいものであるかを語るのばっかり巧いモノ・サービスが多い気がします。
つまり収奪的マーケティング全盛でスカばっかり引かされている感があります。
自分だけかな!?
ですが、コンビニで流れる歌のカバー曲の割合は、以前にも増して高すぎますよね。
(もちろん素晴らしいマーケティングも多くなってきているのではないかと感じることもあります。)

これを避けるためには、違う木を見るしかないように思います。
そして、違う木を見るためには、古典に当たるのがひとつの方法ではないかと考えます。
古典であれば、それがオリジナルである可能性が高いですから。
例えばリーダー論を学ぶのであれば、今日のビジネス書だけではなく、プラトンの国家論やマキャヴェッリの君主論、孫子の兵法などを読むのも有用ではないかと推測します。
古典は、何百年にもわたってふるいに掛けられてきていることもありますから、それだけでも読む価値は高いのではないでしょうか。
それに将来的に外国人と話すときに、相手も読んでいる(少なくとも著者名を知っている)可能性が高いのは、圧倒的に古典です。
地理的にも時代的にも普遍性が高い。

ライフネット生命の出口さんも古典をおすすめされています。
出口さんといえば、読書の鬼神です。

古典は人類の長い歴史の中で選ばれて今日まで残ってきたものであって、いわば市場の洗礼を十二分に受けている。一冊の古典はビジネス書10冊、いや100冊に勝るかも知れない。経済学で言えば、アダム・スムスの国富論は、今でも書店に並んでいる数多の現在のビジネス経済書100冊に優に匹敵するのではないか。


古典は、読んでいてもなかなか進みません。
ビジネス書は1時間ぐらいで読み終わるものも多いですが、内容が薄いからだったのですね・・・
読むのが早くなってきたぜ!と勘違いしていましたので、ちょっぴりとほほ。

でも、古典の重厚さを知れたのでよしとしましょう。
それに早く読めることなんてほとんど無価値であり、そこからどれだけのものを吸収できるかは、スピードとは関係がありません。
しかも、岩波の学術文庫とか、安いんですよね~♪

意識としては、5割ぐらいは古典読みたいところです。
秋の夜長に古典三昧なんて、とても趣があるではありませんか。
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【2012/10/03 22:47】 | その他
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