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壊れかけのradioじゃない。壊れているradioだ。

その他
05 /09 2012
僕の好きな歌の一つに、徳永英明の「壊れかけのradio」があります。

以前は、その優しいメロディラインと徳永の高音域の調和が醸しだす心地よさが大好きでした。
しかし、今は少し違っており、この歌の歌詞の深淵さが故に惹かれております。
そして、歌詞について言うとメロディラインとは異なり、リアルに目を向けなければならない過酷さがあります。


この歌の最初のフレーズ
「何も聞こえない・・・何も聞かせてくれない・・・」
に対して、

「壊れかけじゃなくて、完全に壊れてるよ!!」
というツッコミを入れる人は多いでしょう。
僕もそうでした。

しかし、ここからがこの歌の探究の始まりです。
何故、完全に壊れているのに曲名は「壊れかけのradio」なのでしょうか。

それは、人間が弱い生き物だからだと思います。

「いくつものメロディーが いくつもの時代を作った」
radioから流れるメロディーは、数限りなく彼の思い出を形作ってきたのでしょう。

壊れていない頃は・・・

「いつも聞こえていた いつも聞かせてくれてた 窓越しに空を見たら かすかな勇気が生まれた」
radioは彼に勇気も与えてくれていました。

壊れていない頃は・・・

「迷子になりそうな夢 素敵な歌が導いた」
radioは迷う彼の将来への道も示してくれていました。

壊れていない頃は・・・

この歌の主人公にとっては、radioはそれまでの彼の全てと言っても過言ではありません。
そのradioがとうとう・・・壊れてしまったのです。
しかしながら、彼はまだその現実を受け入れることが出来ていません。
だからこそ、タイトルが「壊れかけのradio」なのです。
「壊れているradio」ではなく。。。


それでは、radioは何を意味しているのでしょうか?そのまま、radioのことなのでしょうか?
僕はそうではないと思います。
恐らく、radioよりはもっと広い意味だと考えます。
そして、それが意味するものは、人それぞれなのだと思います。
例えば、ニートにとっては、その親を意味するのかも知れません。
働かなくても親が養ってくれるから、別に仕事しなくてもいいではないか!と。
とは言え、それは親がまだ元気に働いているから成り立つ生活に過ぎません。
親が年金生活に入れば、子を養うほどの実入りはなくなります。
従来同様に無職ということでは、生活が成り立たなくなります。
最悪しばらくは養われたとしても、持続的なものではありえません。
破綻は目に見えています。

自分の業界である司法書士業界も永続的なものではありません。
隣接する弁護士業界が司法制度改革で大変だということであれば、我々もその影響は決して避ける事ができません。
当然ながら、今までは司法書士だけで食べることができていたパイが、狙われることになるわけです。
現時点では、まだ壊れかけだとしても、壊れるのはそう遠いことではありません。


恐らく、誰しも幸せをもたらしてくれている(くれていた)radioを持っています。
だけれども、それはいつかは壊れてしまうradioなのでしょう。
人やシステムのおかげで今は食えていたとしても、それは絶対永久のものではありません。
壊れているradioに対して、「本当の幸せ教えてよ」と求めても、教えてくれるわけもありません。
「壊れかけのradio」ではなく「壊れているradio」だという事実に早く気がついて、行動するしかないのです。


・・・ということに最近になって、やっと気が付きました。
僕の体が昔より、大人になったからなのか・・・な?
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