退屈論

その他
03 /02 2010
言い訳から入ります。

先週も昨日も遠出していたのです。
だから、ブログかけなかったんです。多分・・・

先週はTakekidaくんの結婚式、昨日は@noz3106くんの送別会。
お二人とも新しい生活が始まるのですね~。うらやましい。

今回の移動の際に、小谷野敦さんの『退屈論 (河出文庫)』を読み返しました。
著者の主張は、『脳が進化したことにより、人は退屈を覚えるようになった。生きるというのは退屈を凌ぐということ』というものです。
自身のこの10年ほどを振り返りますと、大学に工学部で入り、教育学部に転部し、結局やめてしまい、挙句の果てに司法書士として現在働いています。
この一貫性のなさの本質は、『退屈』ということだったのかもしれません。

本には退屈をしのぐための方法も色々書いてあり、その一つとして『子供』が挙げられております。

 循環的な時間と、直線的な時間とが絡み合ってこそ、人間は生きていけるのではあるまいか。そこで、こう考えたのである。前近代の人間は、まず、大人になって、結婚する。今でもそうだが、退屈というのは、大人になってからやってくるものだ。しかし、その次に、出産、育児、という過程がくる。これは、先に述べたとおり、意味があるようでない。昔の人は多産だったから、次々と子供をうみ、その成長に一喜一憂しながら生きた。そして、最後の子どもが成人する頃、死の準備をしたではないか。そう考えるほか前近代の人間が退屈に苦しまなかった理由というのが説明できない


循環的な日々だけですと退屈してしまいますが、子供はその日々に直線的な時間軸の変化を加える存在のようです。
それを考えれば、まずその前提として結婚というステージを踏むのは、大きな意義があるでしょう。

少し気になりましたのは、退屈を感じるのは脳内物質のバランスの問題に過ぎないのではないか?結局、脳科学からすべて解決する話ではないか?という点です。
それに関しては以下のように書かれておりました。

 最近、SSRIという新型の抗うつ剤が開発され、これが劇的に気分を爽快にさせるというので米国では数千万人が服用しているとされており、日本でも認可されたが、今のところ日本人では副作用の大きい患者の割合が高く、三分の一くらいの人にしか効かないようである。SSRIは(中略)セロトニンの不足を補うものだ。うつと退屈の間には密接な関係があると見ていいが、要するに退屈とは、ドーパミンやセロトニンのような脳内物質の不足に還元されるものなのだ。人の気分などというのは薬で変えられるものだ、とは村上龍が昔から言っていたことだが、それはある程度正しい。しかし、SSRIの場合、効かない患者もいるから、薬全能論をとるわけにはいかない。


つまり、脳内物質の不足の問題なのだが、それがわかったからと言って、簡単に治せる話ではないということでしょう。
退屈との格闘は一生続くのか・・・

著者の結論としては、『退屈に慣れよ』というものです。
それまでの展開は素晴らしいのですが、この結論には与すことはできませんね・・・
やはり、退屈な日常に、どれだけの退屈解消を盛り込めるかの方が、現実的な感じがします。
それに当たっては、上にも書きました『退屈な日々にどれだけ直線的な時間軸を加えることが出来るか?』という点が重要なのでしょう。

僕はまだ新しい生活を始めるわけではありませんが、それを夢見て今は待ちたいと思います。
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コメント

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退屈なのは平和な証拠です。

No title

その通りかもしれません。
この本でも、『戦争と平和と退屈』という章に、その旨が述べられてました。
ざっくり書くと、平和だと退屈してしまいその退屈しのぎに戦争するということ。

この仮説が真実だとすると、世界から戦争がなくなる日は遠いのかと。