供給制限とビックリマンシール

その他
02 /15 2010
池田信夫さんのブログに面白い記事がありますね。
職業免許の仕分けを

医師や弁護士の所得が高いのは、免許制度で供給を制限していることによる準レントで、彼らの労働生産性は低い。医師の仕事の大部分は定型的な診察業務で、もっとも偏差値の高い学生が医学部に行くのは社会的な浪費である。弁護士に至っては、フリードマンも指摘したように免許で規制する理由は何もない。本人訴訟が誰でもできるのに、代理人に免許が必要なのは論理的におかしい。

(中略)ただし、それはまったく無意味な制度ではない。Milgrom-North-Weingastも指摘するように、中世の都市でもっとも商業が栄えたのは商人ギルドの発達した都市であり、それは情報の非対称性を解決するシグナリングの機能を果たすと同時に、不正な取引を行なった者を「村八分」にすることによって商取引の安全性を守る意味があった。

しかしシグナリング機能のためには資格認定で十分であり、無免許営業を禁止する必要はない。医師免許も人命にかかわる「コア医療」に限定し、町医者は資格認定にしたほうがいい。それによる医療ミスのリスクより、免許による独占で医療費が上がり、医師不足で生命が失われる社会的コストのほうがはるかに大きい。
 


ごく簡単にまとめますと、たいした仕事でもないのだから、人数制限するな!ということでしょう。
お医者さんに関してはともかく、弁護士は直接命にかかわるわけでもありませんから、人数が増えるのは大いに結構な気がします。
最低限の質は、最初から合格者の人数を制限している司法試験のようなやり方ではなく、行政書士試験のように6割で合格などにしても確保できます。
むしろ、昨今の過払いでもうけて脱税している輩の多さを見ていると、人数制限がまったく質の確保につながっていない気すらします。

人数制限で損するのは、消費者です(ちょっと前に書きました)。
そんなことは、バッジを持っている当事者も分かっています。
それにも拘らず、一向に変わらない理由は所有効果でしょう
持っているものに必要以上に価値を見出してしまうバイアスです。

その昔、ビックリマンシールというものが流行りました。
あの中には、ヘッド、天使、お守り、悪魔、の4種類のシールが入っておりまして、ヘッドに当たる確率はやたら低く40分の1ぐらいでした。
一方、他の3種類は同じ確率でした。
ですので、ヘッドを持っているラッキーボーイは、友達に威張れたわけです。
しかし、ビックリマンも次第に売れなくなっていきます。
そこで、ビックリマンを販売していたロッテがとった策は、ヘッドも他の3種類も同じ確率であたるようにしました。
簡単に当たるヘッドを求めて、みんなたくさん買ってくれるのでは!?と見込んだわけですね。
それで売れたかどうかはさておき、こうなりますと、みんながヘッドを持っておりますので、今まで威張っていた人間は威張れなくなってしまったわけです
彼としては気に食わない話ですよね。
ヘッドシールそのものは素材などは変わっておらず、相変わらずキラキラ光っていたのですが・・・

これと同じで、みんなが弁護士になれてしまうと、すでに弁護士の人としてはなんだか気に食わないはずです
感情の問題ですから、そう感じてしまうのは仕方ないのでしょう。
ただし、ロースクールまで行って、挙句何も手に入れることができない人を量産している状態を、『なんだか気に食わない』という感情論だけで現状維持するのは問題な気がします。

また、司法書士も合格人数を制限しており、ひどいことに現状だと新司法試験合格者よりも少ないです
新司法試験に負けず劣らず無駄だらけの試験ですので、さっさと変わればいいのですが・・・
(先に人数の枠を取っ払うぐらいの心意気は見せたら家事代理権もらえないですかね?)
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