雑多に、思いつくままに
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最近、本を読んでいて時々思うのが、「何のため読んでるのかな?」ということです。
法律関連の本であれば自分にとっては仕入れのようなものですから、読む意味は見いだせます。
しかしながら、他のジャンルの本については、どうもそれが薄れてきている感じがします。

学生の頃はほとんど本を読んでおりませんでしたから、よく読むようになり始めた頃は本の効用の大きさを感じておりました。
自分が知らない知見が沢山詰まってましたから、そういったものに触れる感動が大きかったのですね。
ただ、最近はそういったことが減ってきたように感じます。
どうしても、以前に比べると既視感は強くなりました。

また、昨今の電子書籍に関する議論を見ていて、情報の価値が下がってきていることを感じます。
議論の中心は、書籍に関する権益の分配ではありますが、本質はそこではないと思います。
昔であれば調べるのにかなり時間がかかったであろうことでも、Googleで検索してすぐに知りたかったことにアクセスできることが多いです。
もちろん、100点満点の回答を得るには相変わらず時間はかかりますが、及第点を得るのは簡単になりました。

さらに、この事が将来にはどういったことになるのかを考えますと、頭脳労働というものが「何を知っているか?」ではなく「どう考えるか?」ということになるのではないでしょうか。
すぐに知りたい情報を検索できるということは、言うなれば、頭の中に記憶を保持しておく必要性は下がります。
ある事象を見たときに、それを知っているということがそれほど意味を持たず、そこから何を考えだすかという独自の切り口が重要になるのではないかと。
ウインナーを見たときに、ウインナーの歴史を語るのではなく、タコさんウインナーにしたり、それが普通過ぎるのであれば、平等院鳳凰堂型のウインナーにしたりできることが(おみやげとして売れるかも!?)問われるのでしょう。


話がとっ散らかってきましたのでまとめますと、

1.限界効用逓減の法則から、時間を費やすほどのメリットがない。
2.情報の価値が下がってきている
3.「いかに考えるか」を重視したい


特に、3.の考えることを重視していきたいですね。
僕程度ですと、効用が低減してきたといっても、まだ本を読む価値は充分有りますが、もう少し自分のアタマを使って考えることも大切にしていこうと思います。
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【2012/05/29 18:16】 | その他
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